インタビュー:アディティ Part 1

トピックス:自分自身のために声を上げる大切さを学ぶ

今回は、わたしたちの仲間・パトリックの友人・アディティさんにインタビューしました。とっても長いインタビューですが、わたしたちにとっても避けられない人種の問題や大学生活で学ぶことなどについて紹介しています。また、州によって考え方が異なるアメリカの大きさにも驚きます。

今日は、僕のアメリカ人の友人で、ワシントンD.C.で政治に携わる仕事をするアディティと一緒にいます。

アディットと僕は、皆さんの大学進学についてのいろいろなアイデアについてディスカッションしました。皆さんは、まず最初に立てたプランに沿った学校に進みますが、その後いろいろと変化することも。計画を立て想像する忙しい日々は、僕の好きな話でもあります。今回のインタビューには、役に立つこともたくさんあるのではと思います。皆さんに楽しんでいただければ幸いです。

 

パトリック:こんにちは、パトリック・マクレランドです。今回僕はとても素敵なアディティとアトリエ・コラジアルのインタビュー第3弾を録音しています。君がワシントンD.Cに来るまでの経緯と現在の仕事の概要を教えてください。


アディティ:わかりました。私はアディティです。アイオワ州中西部で育ち、ネブラスカ州のクレイトン大学の経済学、そして公共政策を専攻しました。そして、大学時代に政治分野でたくさんのインターンシップを経験しました。たくさんの素晴らしい人と出会い、自分がやりたいことを見極める良い経験がたくさんありました。その経験を経て私はワシントンD.C.に行き、政府で働くことにしました。


パトリック:
君が中西部出身だとは知らなかった。


アディティ:そう?


パトリック:
君の出身地について話したことはなかったけれど、君がクレイトンに行ったことは知っていたよ。


アディティ:そうだったかしら?そう、私はアイオワ州出身なの。


パトリック:
アイオワ州とクレントン(ネブラスカ州)は君にとってどう違いましたか?


アディット
どちらとも言えるわ。クレイトンはあなたも知っているだろうけれど、カトリックやイエズス会存在がとても大きいです。そのため私にとってはとても違ってみえました。でもクレイトン大学はの家からたった2時間の距離で結局のところ文化的にはあまり変わらなかったわ。


パトリック:
そうだね。え?君や君の家族は宗教を重んじているの?


アディティ:ぜんぜん。はヒンズー教徒として育ったけど、個人的にはまったく宗教は重んじていないの。


パトリック:
そうなんだ。僕も“カトリックとして育てられた”けれど、カトリック教徒であることは、両親などの世代にとってごく一般的なことだよね。尋ねられれば、「まあ、私はカトリックとして育てられた」と言うのが普通。
では、まず最初に聞きます。
あなたはなぜ経済学を専攻したのですか?


アディティ:そう、私は、最初に経済学を専攻しました。でも大学に入学してから専攻を数回変えています。次にはビジネス法のプログラム、その後は医療政策に興味を持ちました。結局、経済学に落ち着き、いくつかのクラスを受講した後、好きなものと嫌いなものを決めました。


私は経済学の一般分野が好きで、資本主義の世界がどのように機能するかを理解するための良い基礎とはなったけれど、正直なところ、
の現在のキャリアとはあまり関係がなく、多くのことはインターンシップで学びました。


パトリック:
そうだったんですね。一般科目を取ってから、
副専攻やインターンシップに取り組むのと、最初から一つの専門科目にまっすぐに取り組むのではどちらがおすすめですか?


アディティ:それはひとそれぞれだと思います。それぞれに合った形があると思います。もちろん、具体的な研究を行うような難しい科学などの分野もあります。でも、リベラルアーツの中には、内容よりも得られるスキルの方が重要なものもあると思います。特にリベラルアーツでは、実務経験に転用できるものが多いと思います。


経済学を専攻した場合に得られる“まとめる力”は特に、効率性と生産性の観点による考え方などにとても役立ちます。大学に入学して、自分が好きなことや嫌いなことがわかった後で方向を変えることは当たり前です。今の道が正しい道ではないとわかった場合、自身の専攻に道を制限されるべきではないと思います。


パトリック:僕は、演劇科でしたが俳優になりたいと思ったことはありませんでした。でも演劇を楽しんでいました。演劇はチームワークを重要視します。そのほとんどは、創造的な問題解決につながります。信頼できることを学び、訓練されることを学ぶ方法。演劇科でそのような原則を学んだことが僕の海外移住や就職にも役立ち、いろんなモチベーションにつながりました。

あなたはどの授業が好きでしたか?


アディティ:とても好きな教授が教える国際開発の授業がありました。彼女は本当に頭が良く素晴らしい女性でした。授業は国際的な環境における経済開発政策というものでした。とにかく大変でしたが本当に面白かったです。私たちは素晴らしい議論を交わしたり、私が今までに受けたことのないようなハイレベルな授業でした。そのような素晴らしい教授に教わることができたことは、私にとって本当に大意味のあることでした。ビジネススクールではあまりないことなのです。要するに、女性教授が少数派だったのです。私は、女性の教授がこの授業を教えてくれたことでさらなるインパクトを感じました。


パトリック:
学部内で、白人ではない女性であることを自分自身で深く考えることは重要ですか?


アディティ:そうですね。今日においてもその数は実に少ないです。私がそこ(クレイトン大学)ににいたときは、教員の25%しか女性はいなくて、白人以外は10%ほどでした。インド系アメリカ人の女性が教えてくれたクラスは1つだけでした。私が4年生の時に一度だけです。私が学校にいた8つの学期の間で唯一でした。ですから、留学生もしくは白人でない人間は、こういった経験が通う教育機関によって違うことを前もって理解しておくべきだと思います。


パトリック:
確かに。僕のキャンパスには確か、同性愛者だと公言している2人の教授がいました。彼らは
演劇芸術学部の教授でした。それ以外では、僕は女性の周りで居心地がよかったので、女性の教授の授業も楽しかったです。哲学の教授は女性で、とても暖かく開放的で親しみやすく、それが僕が哲学に籍を置いた理由の一つでもありました。

君にもそのような教授がいましたか?

周りに心地よさを感じたり、またアドバイスを求めたりしましたか?

また、意欲を喪失するように感じた教授はいますか?私たちに話すことができる例があったら教えてください。


アディティ:そうですね、 2年生の時に経済学の授業で苦手な教授が一人いました。私は彼をあまりいい先生だとは思わなかったのですが、周りにとってはカリスマ性があり、たくさんの学生との交流がありました。私は彼の授業に内容がないと思った数少ないうちの1人でしたが、ある時私が彼と議論を交わし、彼の言いたいことに反応し分かり合うことができたことで、彼が私に対して好意的になり、私たちは良い関係を築くことができるようになりました。私は彼の言動が好きではなかったし彼もまた私の言動を好きではなかったにもかかわらず、彼は私をすごく尊重してくれたのです。私たちに対し自覚しなくとも差別を行った教授はよくいるものですが、それを経験せずに済んだのはラッキーでした。実際、非常によく似た人生経験と同じような特権を持つ教授がいる場合、だれもが遭遇することです。


パトリック:
あなたが大学入学前に、知っておきたかった事、高校の間に準備をしておけばよかったことはありますか?


アディット
これはクレイトン大学特有の体験かもしれませんが、私は学生が保守的で無関心なものとは想像していませんでした。クリントン大に進んだ人と話をしましたが、私が自分自身に感じているほどには自分の価値観を身近に感じていませんでした。宗教を中心に持つ人が多いと思いますが、私はそうではありません。私は自分自身、政治的価値観、信念を中心に置いています。なぜなら、それらは私が信じる人権に直接関係しているからです。多くの学生は、18歳のときそのようなことを気にしませんでした。


私と同じ感覚を持つ人を見つけるのにはとても苦労しました。私が1年生の時にアンドリューという人が2軒隣にいたことをよく覚えています。そのころ私は私と同じ価値観を持つ人を見つけるのに必死でした。私は、民主主義者かどうかをみんなに尋ねて回りました。私が彼にそれを尋ねると、彼は「もちろん、みんなそうじゃないの?」と答えました。私は、 「いやいや、ここはネブラスカ州ですよ。誰もがそうではないですよね。」と返しました。私と同じような考え方を持つ友達やグループができるようになったのは私が3年生になった時でした。たぶん、政治的な考えを持たない人は早い段階でコミュニティを見つけることは簡単なのだと思います。


それは特に常にトランプ大統領に対抗する必要性が引き金となったのです。

けれどもクレイトン大の政治への無関心さは私にとっては、とても生きづらいものでした。


周りの人がいつも自分の人権を信じているかどうか疑問に思う必要のない場所にいる今、自分の考え方の違いをみることはできません。市内のほぼすべてのソーシャルサークルに参加でき、次のようになります。「A)私のように見えるだけの人、または、B)私と同じことを信じている人。」


そして、私は他の人を怒らせないために周りの人に合わせる必要はないのです。まずは自分に合った環境を見つけることがとても重要だと思います。


私は、私が進んだ大学の環境がどれほど自分に合わないかなどと想像していませんでした。私はなんとか自分に合ったものにしようと考え、「これが私のいるべき環境なら、それを変えるために何かをしよう」という思いに至りました。そして、私は、実際に学生自治会、所属するクラブや設立したクラブを利用し、声を上げ、自分自身にキャンパス内で“避妊具”を着けた「政治好きな少女」というブランドを与えたのです。


人が私をそんな風に知っていることについて私は自分自身を誇りに思っています。その場所にたどり着くまでには長い時間がかかりました。

(後半に続く)

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